映画ドラマ書き殴り健忘録

主にNetflixで見たやつの感想 ネタバレの宝庫です

映画『グリーンブック』〜人を変えるには勇気が必要〜

 

やっと見れたよ〜

アカデミー賞の頃からどう考えてもグッド映画臭プンプンで面白そうだったからちょー見たかったんだけどなかなか見れなかったやつ

 

とりあえず感想

 

最高でした❤️‍🔥

 

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黒人差別をテーマに描いた作品なんだけど、2人の友情に焦点を当ててるからどちらかというとエンターテイメント作品。実話にしてはユーモアとドラマチックな展開に溢れていて見ていて幸せな気持ちになれる映画でした。

というより、人種差別の映画と言われてもうーん???とちょっと違和感が残る。それがテーマ?なのか??というしっくりこない感じ。

そこら辺はまた最後の方にまとめよ。

ちなみにいい意味の違和感です。

 

制作にはトニーの息子が関わってるらしい。なので事実からあまりにもかけ離れた描写はなささそう?それにしても親族が入ってもこんなにも楽しい映画が仕上がるなんて本当に2人は仲良しだったんだな〜〜 はあ、すてき。

 

はい、あらすじ

舞台は1962年、アメリカではまだ黒人差別が根強く残っていた時代。特にジム・クロウ法というはちゃめちゃな黒人差別法があるのがアメリカ南部。そんなところへコンサートツアーを決行することにした黒人天才ピアニストのドクター・シャーリーは、イタリア系白人で用心棒兼運転手のトニーを雇う。お互いに多くの時間を過ごすうちに、2人は次第に人種を超えた友情を築いていく。グリーンブックとは、1950~60年代に人種差別の激しかったアメリカ南部を旅する黒人のために製作された施設利用ガイドブックのこと。

 

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はいここからネタバレ〜

 

物語はトニーが用心棒として務めていたクラブが休業するため、2ヶ月の間仕事を失うところからスタートする。更にはその仕事を辞めるまでの間にすでにトニーの口達者な様が描かれている。

彼はその口から出まかせなところから、仲間からはリップ、と若干揶揄されるようなあだ名をつけられている。本人もほんとはちょっと嫌そうに見えたけど気のせいかな。

仕事を無くして家にいる間、修理か何かで黒人の雇われ人が家を訪れるのだけれど、トニーは彼らが口にしたコップを丸々ゴミ箱に捨てる。それを拾う奥さん。対照的な2人の姿が印象的なシーンだった。

実際のトニーもツアーに出る前は差別主義者だったと言う。シャーリーと出会ってからは、人が変わって差別がいかによくないか息子たちにも教えを説くような人間になったのだとか。

 

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ある日、トニーが用心棒として問題を解決するのが得意だという噂を聞きつけたシャーリーは、トニーを雇いたいと申し出る。まあ正確にはまず面接があるんだけど、トニーはやはり黒人に対するイメージはよくないまま。更にはチャイニーズ、アジア系にも決して態度が良いとは思えないし、ドイツ人に対してはナチスがどうの。。。確かに、とにかく差別主義者だな。

しかし背に腹は変えられないトニーは2ヶ月のツアーに同行することを決めた。

これ、実際は2年だったらしい。ながい。。仲良くなってよかったね笑

 

最初のコンサートの前、シャーリーはトニーの立ち振る舞いを上品にするよう伝えるがトニーは聞き入れない。ただ、そこで初めて聞いたシャーリーの演奏が天才的だということだけは彼にもわかった。

不躾な態度を続けるでたらめお喋り不良おじさんトニーだけど、いかんせん曲がってなくて超素直。だから見てるこちら側も気持ちよく見ていられる。

 

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個人的には、シャーリーの方が苦しくないその性格?!となる印象の方が強かった。それは時代背景や彼の人生を考えるとそうならざるをなかったというのもわかるのだけれど。

その上品で高貴な振る舞いに、生きづらさを感じたのはトニーも同じく。ツアーは無事に進むのだけれど、どことなく彼が楽しそうでないことに気づく。

 

でもトニーもトニーで、テキトーな性格だから途中で寄った土産屋?で売り物だった翡翠がたまたま落ちてるのを拾ってポケットにしまっちゃう。シャーリー的にはそういうのナイ、もうダメ。返してきなさいと諭す。ちゃんと言うこと聞くトニー、まあ聞いたふりだったんだけど偉いよね。そういうとこ多分みんな好きよ。

 

場面が進んで、多分見ていたみんなが好きなシーン、ケンタッキー州でケンタッキー食べるシーン。わー私もこれやりたすぎる笑

食べれないと拒否するシャーリーにトニーから名言。働く時は働き、笑う時は笑って、食べる時はそれが最後の食事だと思って食べろ。何事も100%でやれ。いいことばだね〜

 

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黒人はみんなフライドチキンが好きだろっていう偏見丸出しのセリフに嫌悪感を示すシャーリーに、おいおい怒るなよ俺はイタリア人がみんなパスタ好きなんだろって言われても気にならねえみたいなこと言うトニー。そういうとこ、ほんと好きよ。

 

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この食事のシーンを通して距離の縮まる2人。

ぽいって外に骨投げるの楽しそうでかわいい。

 

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トニーが調子に乗ってドリンクまでポイ捨てしたのに対してはきちんと叱るシャーリー。お母さん。

 

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あと、奥さんに言われた通り手紙を出し続けるトニーに、ロマンチックな書き方を伝授するシーン。素直に受け入れるトニーもかわいいしだんだん素敵になっていく手紙を読んでうっとりする奥さんもかわいすぎ。

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長旅を通じて徐々に距離の縮まる2人、一方で南部に向かうにつれて色濃くなる黒人への差別や偏見。

シャーリーはゲストなのにトイレを使わせてもらえなかったり、一方で黒人専用のホテルでも異端扱いされ、バーに立ち寄っただけで暴行にあうという辛い現実にぶつかっていく。

またシャーリーは実は同性愛者であるというシーンもあった。それが原因で、相手の方と共に丸裸にされて刑務所に入れられたところをトニーが助ける。

本当のシャーリー自身も同性愛者だったと言われている。今よりはるかに理解のなかった時代、黒人であり同性愛者である彼には葛藤がつきなかったのでは。。。

 

 

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そんなシャーリーの姿を見て、トニーは理解できない。彼の演奏をこぞって聞きにくる観衆たちが、演奏が終わった外では彼を異端として扱う。その奇行が理解できない。黒人差別云々ではなく、辻褄の合わないその行動の意味がわからない。更にそのモヤモヤはシャーリー自身にも向かう。なぜ彼は黙っているのか。普通にすごしていれば、高級な部屋で高価な食事をもてなされる北部で演奏すれば、こんな危険な目には合わなかったのに、なぜ南部でのツアーを決行したのか。

 

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あるとき、警察に車を止められ、身分証を見せるよう要求される。その警察のイタリア人である自分を馬鹿にする態度にブチギレたトニーは思わず警官を殴ってしまう。たちまち刑務所行き。ついでに夜に出歩いていたという理由だけでシャーリーも牢の中。

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ケネディ大統領の弟というレベ高人物に助けてもらって事なきを得た2人。これも実話なんだって。

 

その帰りの車の中でシャーリーは、暴力はいけないとトニーを諭す。本物の勝利は品位を保つことで得られる、と。それがシャーリーの戦い方なんだね。

でもまだトニーは納得できない。そんなんじゃスッキリしないもん!って反論し続けて、高貴で金持ちのトップにいるシャーリーよりもよっぽど俺の方が黒人だ、黒い世界の中にいるから!と配慮のカケラもないことぶっ放す。言うねえ!!!!

これにはシャーリーブチギレ。ブチギレ彼女がいうセリフあるあるの車止めて!!が出る。

こういう時だいたい雨降ってんね。

 

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それでシャーリーは言うのよ。

私は独りで城住まいだ。金持ちは教養人と思われたくて私の演奏を聴く。その場以外の私はただのニガー、それが白人社会だ。その蔑視を私は独りで耐える。はぐれ黒人だから。黒人でも白人でもなく、人間でもない私は何なんだ?

 

いや、長々となったけどここよね。

ここへのアンサーこそがこの映画のテーマだよね。

黒人とか白人とかそういう簡単な話じゃない。

簡単な区別ではない、差別に苦しみ自らの手で道を切り開いてきた、自らを保ってきたシャーリーの魂の問い。

自分は何者なんだろう、

孤独に戦い続けてきた男の、震える問いかけこそがこの映画の意味するところ。

って腑に落ちた、ここで。

 

結局次の日がラスト演奏なんだけど、ここでも差別的な扱いをされてもう2人とも我慢ならずに投げ出しちゃう。

ツアーは最後までやり切らないとお金が出ない契約。

もうそれでもいいと飛び出して黒人でも食事ができるバーに行き、そこで最高の演奏を見せるシャーリー。

 

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そこには初めて楽しそうに鍵盤を弾くシャーリーの姿があった。

 

ウイスキーがピアノに置かれてたりする小さな演出かっこいいよね〜

 

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最後はなんとかクリスマスイブに間に合って、シャーリーもトニーの家でパーティを楽しむ。

そこで初めて会った奥さんがシャーリーにこっそり、手紙をありがとうと言うの。このラスト、最高にかわいい。2人ともいい笑顔すぎて、確かに奥さん最初からわかってる風だったもんね。

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てかこのひと超かわいいよね。。。!!!

 

 

いいラストだったしストーリー展開もサクッとしてて超良かった。語彙力ぅ

 

最後、シャーリーがトニーの隠し持ってた翡翠を大事に扱うシーンも良い。細かな伏線回収。ドラマチックだったねえ。

 

久しぶりにすっきりとした映画見れたな。

良い映画でした。

よし、終わるぞ!!!!急

 

 

 

映画『朝が来る』〜なかったことにしないで〜

見たーーーー朝が来る

公開当時から気になってたけど予告とかパンフレットとかバンバンにミステリー映画を匂わせていましたがね、これはミステリーなのか??!!ドキュメンタリー映画かと。。。

泣ける映画です 私は2度違った意味で泣いた

前半に感動的な意味で泣いて、後半に心が痛くて涙が出た 

あらすじにもある通り、生みの親が「子供を返して」と言いに来るところから始まるんだけど、映画の前半と後半でそのシーンに対する気持ちが全然変わってしまう。こんな映画があるのか、前半に抱いた感情すら自分の視野の狭さを恥ずかしく思えてしまうような怒涛の描写が続く、胸を抉ってくる

 

終わりに救いがあってよかったっていう感想あったけど、あんなもんじゃ救いも何も。。。って思ったの私だけか????

 

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はい、あらすじ

長い不妊治療のすえ、特別養子縁組を選択した栗原清和(井浦新)と佐都子(永作博美)夫婦と、中学生で妊娠し、やむを得ず子どもを手放した幼い母親、片倉ひかり(蒔田彩珠)の物語。 2人の女性の人生の選択と葛藤を通して、母親になるということはどうゆうことなのか考えさせられる作品。

 

ここから怒涛のネタバレ祭りだよ

 

まず物語の構成として、さっきも書いた通り前半と後半に分かれて2つの話が描かれてる。

前半は、朝斗を養子として迎えた井浦新永作博美夫婦の物語。朝斗が通う幼稚園で起こった子供同士のトラブルから始まる。

そこでの佐都子は、本当に自分の子供が嘘をついていないのか、悪いことをしていないのか、ちゃんと信じてあげられない。相手の母親はなかなかに嫌なやつなんだけど自分の子供を全力で信じてんの。結局悪いのは朝斗じゃなかったとわかってホッとするっていう流れなんだけど、ここでの佐都子は頼りなくてどこか本当の親じゃないことに後ろめたさ、負い目を感じているようにも見える。

そこから、朝斗を引き取ることになるまでの回想スタート。

 

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清和と佐都子の元には子どもがやってこなかった。不妊の原因は清和にあって、わざわざ北海道まで仕事を休んで治療に行く日々。努力をしても実らない、お金と労力と精神だけがすり減っていく。自分に原因があることにどんどん傷ついていく夫の姿、男としてのプライドを隠そうとするんだけどどうしてもちらりと顔を覗かせてしまうあの演技、井浦新うまかったなあ。。。

 

ある時、大雪で飛行機が欠航し、空港で佐都子は「もうやめよう」と「2人で生きていこう」と清和に告げる。苦しみの中で背中を縮こめていた清和は、本当はもうずっとやめたかったんだと号泣し、2人は一度子どもを諦めた。この辺も見てて苦しくなった人は沢山居ると思う。

 

2人での生活を楽しみながらも、どこか影のある描写がずっと続く。この仄暗さで2人の感情を表現しているのよかったよね、こっからどんどん明るくなるからね画面。

そんで、ある日旅先でたまたま目にした養子縁組の番組。この番組を食い入るように見つめる2人は、養子を迎えると言う選択をする。

 

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後日聞きに行った説明会。市役所でするあたりがリアルガチっぽすぎ。

そんでさ、見て、カーテンの向こうの明るさよ。カーテンが開いて、日が差し込んでいる描写。2人の閉ざされてしまった未来に日が差してるってわけ。良すぎでしょ。

養子を迎えることを決めて久しぶりに見せる清和の明るい笑顔に、私もここまではあーよかったね、そういう選択がしやすい世の中はいいことだよねえ、と思ってた。

 

ここから一気に場面が変わり、産まれた赤ちゃんに会いに広島に向かう。

個人的にはこの、養子を決めてから迎えるまでの映像が全くなかったこと、つまり一瞬で切り替わる展開にグゥッてなった。だってそうだよね、妊娠の期間も出産の過程も彼らにはないんだもんね。。

あと、赤ちゃん産む施設広島の離れ孤島なんだけど、これわざわざ何もない島で隠れるように子どもを産むって言うことなんだよね。

 

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生まれて入院期間が過ぎた赤ちゃんを受け取る2人に差し込む朝日。朝が来たって意味かよ〜〜タイトル〜!!!

 

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そんで赤ちゃんを受け取る瞬間に初めて産みの親に出会う。ぎゅっと握られる手、深々と下げられる頭に、このときに見たこの行動は後半を終えた後で見ると全然重みが違う。

 

ここから晴れて家族3人の新しい生活が始まるってわけ。幸せでいっぱいの。

 

ここで回想が終わり現在にもどる。

朝斗の友達、ママ友との問題が解決して平和が戻ってきた穏やかな日々に一本の電話が鳴り響く。子どもを返して欲しい、そう電話先で話すのは朝斗を産んだと言う産みの母親を名乗る女。

ここから、後半の話、産みの親、ひかりサイドの物語が始まる。

 

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ひかりは父、母、姉と暮らす中学生。どこにでもある家庭にも見えるが、レベルの高い高校に進学する優秀な姉とどことなく対比した存在のようにも見えるひかり。特別な何か問題があるわけではないようだけど、両親からの愛に溢れた家庭という雰囲気ではない。

そんなひかりが恋をする。はじめての恋。幼い中学生同士が心地よい居場所と信じ、世界がまるで2人だけのものだと思い込み、ずっと一緒にいようねという約束の真似事をする。セックスもひかりにとっては好奇心の行く先ではなくて、純粋な愛と恋で塗りたくった居場所のよう。

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キラキラしてたね。してたんだね、脆い。。

 

初経がまだきてなかったひかり。だから妊娠に気がついたのも中絶できる週を過ぎてからのことだった。

泣き崩れる母親の言葉、「この子まだ中学生なんですよ、どうすればいいの先生」にお医者さんが「だから私たち大人がしっかりしないと」と諭すんだけどひかりにはもう言葉は届かない。

お母さんあなたが泣いてちゃひかりは泣けないよ〜。。。

ひかりは産んで育てたいと主張するが、中学生の幼い言葉を大人は聞き入れてくれない。彼氏はごめんと逃げ出してしまう。泣いて崩れ落ちるひかりの「ずっと一緒って言ったやん」。。。辛かった。なんで妊娠したら女の子の方で考えなきゃいかんの。なんでそうなるの。

結局親たちが一方的に養子縁組に出すことを決める。でも現実的にも心も身体も幼いひかりに育てていく経済力も知識も、そしてかなしいことに支援もない。親にその力がない。。

養子に出すしか選択できなかった。

 

出産に向けて広島の施設でその日を待つひかり。そこでの同じ境遇の女の子たちとの出会いは傷ついたひかりを癒してくれた。

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少し、ひかりは依存体質なとこがある。でも幼くして妊娠してしまう、女の子たちにはよくある気質な気もした。

 

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無事出産するんだけど、もうすぐに赤ちゃんと別れなきゃいけない。名前をつけるのは養子を受け入れる側の親たち。ひかりはお腹にいる頃から赤ちゃんに対してよく声をかけていた。ベビたん。そんなふうに声をかけお腹を撫でるひかりの声は慈愛に満ちていたし母そのものだった。

よく幼くして子供を身篭り産む人たちのことを、子供が子供を産んで、とか言う人いるけど、もうほんとにそういうの言わないで。子供をお腹で育てること、産むことがどれほど大変なことか、わかっている人もいるのに。その過程がわずかでもその女性を母親にしてくれると、その子が何歳だとしても思わずにはいられないよ。

 

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この後佐都子たちにベビたんを渡す。その手、震える手、覚悟を決めてお願いしますというだけではない。どうして、なんで、私でも育てられる、離さないで、ひかりの悲しみが波のように押し寄せて私たちを襲う。

 

そんなひかりを連れて帰って、元の生活に無理やり戻そうとする母親たち。無理だよそんなのもっと心のケアしてあげてよ。。。

案の定やっぱりひかりの心は前には進めない。家を飛び出して1人、生きることを決める。

 

そこで妊娠中に過ごした施設に行って、雇ってくれないかと頼むんだけど、もうベビーバトンは終わりにするのだと聞かされる。

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ベビーバトン、養子縁組斡旋団体の代表の人、あっけなく施設が閉鎖されてしまうのだけれど、その背景は描かれない。

養子縁組斡旋団体にも色々な問題がつきまとうことはよく知られている。ついこの間も、海外へ養子を斡旋していた団体の不正行為が発覚してニュースになっていた。

人身売買につながるのではないかという境目。

そうでない団体が多いこともよくわかっているのだけど、色々な難しさの上で成り立ってる仕組みであることが垣間見える。

 

そんで、ひかりの助けはしてあげられないと別れてしまう。そう、養子縁組斡旋団体はそもそもひかりのような育てられない親を救う目的なのではなく、そんな中で生まれてしまった罪のない子どもたちを救うために存在しているから。

 

その後、ひかりは新聞配達の仕事を得て頑張って働くんだけど、そこで出会う同じ境遇の女の子と意気投合するもやはり彼女は悪い運ばかりを引き寄せてしまう。

仲良くなった彼女は借金の保証人をひかりにして逃げた。ひかりはその子を責めたり追うことも、周りに助けを求めることもなくなんとかしようともがく。愛に飢えているひかりは、手放せないし突き放さない。。

 

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でも本当は気にかけてくれる人もいて、そこの店長さんなんかいつも声かけてお菓子くれて、ひかりのことを気にしてくれている。

でもひかりはうまく助けを求めることもできないんだよね。。。助けが必要な子に多いなあ。。

 

結局お金に困ったひかりが電話をするのが佐都子のところ。子供を返してほしい。それができなければお金を渡せ。そう脅す。

 

ここでの佐都子たちは超強気。最初の朝斗の友達問題で揉めたときの自信のない母親じゃない。朝斗は渡さないと決して譲らない。

さらには、金髪でぼろぼろで、変わり果てた姿のひかりを、あなたはひかりさんじゃない、彼女はそんなことを言うような人じゃないと突き放す。

 

なんて言葉なんだろう。でも、子どもを守るためにはこうなるか、とも。

言われた方のひかりは何も言葉が出ない。涙しか出ない。私は今、何者なんだろう。私には何もない、奪われてばかり、そんな悲しい想いが小さく丸まった背中から、少し汚れた肌から、握りしめた手のひらから伝わってくる。辛い、

 

ラストは、訪れてきた女性が本当にひかりだったことに気づいた佐都子が我に帰ってひかりを探し出すというところで終わる。

 

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養子を育てる母として、もう1人の母の存在を受け入れ、背負おうと決めた瞬間に思えた。

 

 

あーーー なんか一気にストーリーに沿ってしまったけど この映画から考えることが大き過ぎてまとめきれない。

今まで思っていた養子縁組への捉え。多様な家族があることは特に気にならない、むしろ良いことだと思っていた。それはその仕組みを経て幸せに育つ子どもがいる、子を産めない夫婦に希望をもたらすという認識だった。

確かにそれは事実だし、そういう思いはまだある。けれど、その奥にいる、産みの親の背景をひとつとて慮ったりしただろうか。

その顔も名前も秘密裏に隠れてしまう女性が、その制度そのものを喜びその後も幸せに暮らしているだろうと、なんで思ってしまうのか。

若いのに妊娠するからだ、自業自得だという声が聞こえるのではないのか。

 

養子縁組斡旋団体も確かに救われなかった命を救う。けど、ひかりのような子どもを誰か1人くらい支えてはくれなかったのか。彼女は救われないのか。どうして父親側は何もなかったことにして生活していけるのか。居た堪れない思いで胸が苦しくなる。

 

子どもを産んだ身として思うのは、あの痛み、あの壮絶な体験を乗り越えた先に、何もないなんて耐え難い。子どもを育てるのは大変なことだけど、奪わないでと心底思うだろう。

自分で育てたいと言ったひかりの思いをどうして軽々しいといえるのか。

何もなかったことにしないで、ひかりが最後に残して、そして消しゴムで消したその一言が胸を抉る。

 

もやもやするばかりで全然答えは出ないけど、自分が見えてる世界が全てではないことは肝にめいじなきゃと思った。

 

テーマが重すぎてなかなか感想を書くまでに至らなかったこの映画。

受けとったものも相当重い。

でもこういう問題を一人ひとりが認識していくことで変わる世界や人生があるのかもしれない。

なんて思ったりした。

 

なので見ておいてほしい一作。

色々な世代に、知って欲しいなと思う。

 

はい、終わり!!今回も!!唐突に!!終わるよ!!!!

終わり方教えて!!!!だれか!!!!

 

 

映画『ヤクザと家族 the family』〜任侠モノじゃなくてこれは多様性についての問題提起映画だよ〜

 

見たよ〜 ヤクザと家族

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任侠モノ見たことないからドギマギして見たんだけどこれはタイトルにも書いた通り任侠モノじゃないね😇バーンバーンバキャーン!テメェ落とし前つけてやるゥ!っての想像してたけど全然違った これはヤクザを通して社会問題を取り扱った人間について考える映画でした

 

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だって藤井監督だもんね バリバリの社会派映画監督じゃんね 新聞記者撮った人が次に撮る作品がオラオラ映画なわけないよな

 

とりあえずの感想はね、見てよかった!!

けど終わったあと1回目はまだ明るい気持ちになれなくて一日中引きずって、いやもう一回みてみよ。。ってじっくり見たらようやく意図することが伝わってくるズドーン系映画だよ 気合いと時間とってみた方が絶対いいよ

ただ、舘ひろし綾野剛北村有起哉(中村役の人ね、ゆきやって読むんだって)、磯村勇斗、このメインキャストが良すぎるから演技だけでも見てってほしい。

特に北村さんと磯村くんは脱帽レベル。。舘ひろし綾野剛はなんか言われんでもヤクザできそうなのわかるけど。

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はい あらすじ

ヤクザという生き方を選んだ男の3つの時代にわたるヒューマンドラマ。自暴自棄になっていた少年期に地元の親分から手を差し伸べられ、父子の契りを結んだ山本賢治(綾野)。ヤクザの世界でのし上がる彼は、やがて愛する自分の「家族」とも出会う。ところが、暴力団対策法の施行はヤクザのあり方を一変させ、因縁の敵との戦いの中、生き方を貫いていくことは一方でかけがえのないものを失うことになっていく……。

 

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この映画、繰り返しになるけどほんとに任侠モノ、ただのヤクザモノではない。なので、そのつもりで見てしまうと多分、いやかなり物足りないと思う。あくまでもヤクザを通して、時代や社会に押しやられ押し潰されてしまうようなひとたちに目を向け、個々の胸中に根付いている偏見に今一度目を向けさせるために作られてる、映画なんじゃないかな。

だから、義理と人情の深さや厚さでいうとあまり劇中では丁寧に描かれていない。

 

こっからネタバレね。

 

たとえば、綾野剛演じる賢二が組に入る最初のシーン。

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賢二は元々はただの地元のヤンキー。母は幼い頃に死んで、たった一人の身寄りだった証券マンの父親もバブル崩壊後に失業して覚醒剤に手を出してしまい死亡。その葬式のシーンから物語は始まる。

その後荒れに荒れた賢二がヤクザがかかわっていた薬物の売人に喧嘩を売って薬物を捨てたことで命を狙われて、それを助けた舘ひろし演じる柴咲の人柄に魅了され、というかその姿に父親を見て、組に入ることを決める。

なんだけど、生い立ちも複雑でここまで荒れに荒れたヤンキーが心を入れ替えて組に入るにはちょっとエピソードとしては短い。

手を抜いたのではなく、あまり必要なかったからとしか思えないし、逆に言えば作り物の家族像をここに表しているためかとも感じた。

なんというか組に入るきっかけがあっけない感じする。まあ血塗れなんだけどね。

 

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父子の盃を交わすシーンは、後に賢二が出所する祝いの席と対比してて、出所時には時代の波に揉まれて6人に減った組員とお酒を交わすんだけどあまりの寂しさにウオォとなったよ。。胸が痛い。。

 

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あとヤクザになる前の賢二は金髪なんだよね。

これは組に入る覚悟を表してるのかなと思ったけど、ヤクザ=裏仕事もこなす影役者にならなければならないという意味も込められているんじゃないかって考察読んで、ギャースってなった。

 

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初っ端からマジイヤーな役してたこの刑事さんも本当に腹立つくらいイヤな役してくれてたな。柴崎組と対抗する侠葉組からお金もらって侠葉組には手出さんくせに柴崎組に都合の悪いようにしやがってコイツ。

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ほんでこの人もな、こいつが喧嘩ふっかけてきたけん柴崎組vs侠葉組の戦い始まって大原殺されたんじゃ。結局🐘さん丸出しで死んだけど。

 

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あと、怪我した賢二の手当をしたキャバ嬢の女の子、いやまさか?ってしばらくじっと見てたけどおのまちこなのかよ!!!たしかに2019年まで舞台続くけどおのまちこ19歳くらいの役したってことヤバすぎ。さすがに無理あるくない。。???

ほんで、このシーンだけで賢二は由香のこと好きになっちゃうっていう感情、ここでも情の動きの適当な描き方よ。わざとか???わざとだったら賢二ちょっと優しくされただけで人のこと好きになっちゃうじゃん。。。今まで一体どんな扱い受けてきたんよ。。。

 

 

とまあ、ひとつ目の時代はバブル崩壊後、賢二の父親みたく色んなものを失った人が多くいた時代。裏社会も当たり前だった。ふたつめの時代が、2005年の暴対法成立前のヤクザの全盛期。ほんでおそらく一番描きたかったんだろうなってのが最後の時代、暴対法によって、社会の人々の価値観の変化によってヤクザが社会の除け者にされてしまう時代。

 

この2つ目の時代にケジメをつけるべく、組を仲間を守るべく殺人をして刑務所に入った賢二が、3つ目の時代へとかなりのブランクとギャップを背負い込み出所するという物語。

暴対法によって、ヤクザは口座も持てない、店も立退、ヤクザから足を洗ったとしても5年は人間としてまともに就職したり扱ったりしてもらえないという5年ルールが賢二の足を引っ張る。その上、久しぶりに会った仲間にも一緒にいたら反社だと思われると拒絶されるわ、柴崎組は密漁や覚醒剤の売買をしないとやっていけない弱小ヤクザになってるわ、強くてかっこよかった親父は癌になってヨボヨボ。これは目を当てられないくらいしんどい。

唯一、賢二が希望を見出せたのが、実は由香との間にできていたという子供と、昔から賢二を尊敬していて賢二のかわりにと街の顔役になるなどしてくれた上に賢二の出所をめちゃくちゃ喜んでくれた翼の存在。

他でもないこの翼、が磯村くん。

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法的にも社会的にも厳しいこの時代でずるく賢くスマートに生きる、新時代の裏社会の顔って感じだった。

 

でも何より本当の家族がいたということは、借り物の家族だった組を抜けてでも守り抜きたいほど、賢二にとっては嬉しい出来事だったんだろうね。

寂しい男。。。いやほんとに最後まで不器用で寂しい男なんだよ賢二。

 

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幸せは一瞬。結局、時代の流れには逆らえず、職も家族も失う羽目になってしまった。

そんな賢二が最後にすること、それが翼の代わりに、翼に汚れ仕事をさせないために、翼の仇を取るという。。。

 

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最後の最後に、ヤクザが秘密裏に行っていた裏仕事をやってのける。組は抜けたけど賢二は最後までカタギには戻れなかった。自分にできることをやる。

これは義理と人情って言葉にカテゴライズされるのではなく、ヤクザとしての仕事を全うしたのだという、役目を果たしたという感覚の方が近い気がした。

 

昔あたりまえにヤクザがいた時代は、秘密裏に、表に出せない汚れ仕事をヤクザはしていた。

義理と人情で人のため仲間のため生きるヤクザだった柴崎組が追いやられ、時代の先を見たセコくて最低な侠葉組がうまくのしあがる結果となってしまった暴対法。

なんだかな〜って感じです。

 

 

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言わずもがな、最後の名シーンはほんとに良かったよね。

賢二が死んだ場所にお花を添えにきた翼と賢二の子供が出会って、「お父さんってどんな人だったの」と聞かれた翼が全てを悟り、「ちょっとはなそっか」と微笑むシーン。

この、全てを悟り、の部分!!!!

磯村くんが全てをもっていきましたーーー

脱帽

 

借り物の家族である翼と、本物の家族である子供。この二人を未来に残した賢二。

ほんで、翼の名前が翼なところがもうね。ハーーー羽ばたいてくれ。。。

 

 

ヤクザとか、反社とかって聴くと、すごい怖くて近寄り難くて、かかわってたらやばいって印象しかなかったけど、この映画を見たら、その見方が変わってくるよね。

もちろんまだ、怖いし、関わるとかはないしヤクザを擁護するとかでは全くないけど、

もう繰り返し言っているけどヤクザを通して社会に追いやられた人々のことを見ている映画なので。

固定概念や偏見で、知らず知らずのうちに追いやってしまった人やモノが自分にもありそうな気がする。

まっさらな気持ち、目で世の中を見て自分で判断していかないとダメだなと思いました。

多様性を受け入れる、そんな世の中にかわりつつあるけど、

逆に、受け入れられない人を拒んだりしてない?

なんて思ったりしてな。。。。

 

どう思うかはほんとに個人の自由。

それが各々受け止めて咀嚼できる世の中、人間になりたいなあ。。

みつを

 

自分たちはもういいから、次生きる子供たちが生きやすい世の中になってくれ。

なりますように。

いや、していかんといけんのか。

 

 

などなど考えさせられる映画だったな〜

おわり

映画『コンテイジョン』〜コロナ禍だから面白いっていう。。〜

見たよ〜 昨年の今頃話題になったよね?

ネットフリックス上がってたのでようやく見たぜ

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結論。。

自粛疲れたな〜と思ってた今、見てよかった!!

です。

 

この映画は話題になった時にも言われてた、まるでこのコロナ禍を予言したかのような映画なんだけどさ、今だからこそ見て面白い作品なんよね。ていうか今じゃないと面白くなくない???(オオォ)

ソダーバーグ監督は預言者か???ってくらい現在の流れとリンクしてる。つまりはだいぶ感染症について下準備、勉強したうえで作り込まれた作品だと思われる。さらに言えば、この時代からすでに今行われている対策が用意されていたということでもある。

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しかもキャストが結構豪華。マット・デイモンにジュードロウ、あとはこないだ放送されたタイタニックのローズ役のケイトウィンスレットもでてる。

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でも公開当初はそんなに注目されてなかったような。。

派手な演出はないけど、ウイルスそのものよりもやっぱり恐怖に煽られた人間が怖いよねってことを伝えたい映画だからか、音楽や映像も比較的静かに進んで行くのが逆にのめりこめてよかった。あとはラストシーンで序盤の伏線?回収。まんまと見てる側を「おーーーこわっ」と思わせる演出ね。

ちなみにソダーバーグ監督はオーシャンシリーズを手掛けてるよ。

なるほどな手の込み具合とかけとる金金金

 

 

はい、あらすじ

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地球規模で新種のウイルスが感染拡大していく恐怖を描いたサスペンス大作。接触感染により数日で命を落とすという強力な新種ウイルスが香港で発生。感染は瞬く間に世界中に拡大していく。見えないウイルスの脅威に人々はパニックに襲われ、その恐怖の中で生き残るための道を探っていく。

 

ここからおもむくままにネタバレるよ

 

この映画のオープニング、どっかで見たことあるなーと思ったらさ

薬物乱用防止教室とか飲酒運転防止教室とかで流れる啓発系ドキュメンタリーぽいつくりなのよ!!!

感染者が触った手すり、携帯電話、肩、食べてたお菓子がわざとアップされるのね。あー、ここからうつるわけよってな感じで。

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もー、今の状況にあるこちらとしてはドキドキの連続。ひーーその手すり拭いてー!!!てなる。

この、「ここから感染が広がりますのよお気をつけなさいよ!」なカメラワークがあの授業で流れるミニドラマを彷彿とさせてワラタ。笑えんが。

 

あとこの映画のウイルス?細菌かな?は、コロナより無茶苦茶やばい。すぐうつるしすぐ症状出るしすぐ脳炎になって死ぬ。そのせいか、今の現実よりも皆んなの恐怖度がやばい。まあフィクションだからってのもあるけど、いま以上に「人にうつしてたらどうしよう」「もしかしてうつってるのかも」という恐ろしさがひどく表現されてて、コロナ禍を1年以上経験した今薄れつつある危機感に再度気付かせてくれる。

昨年見るよりも今見たほうがいいなと思うのはここにある。

 

そんで、そら話題になるわなーと思うくらい今頃の現実と一緒。

まず、ことの始まりが香港。政府間のやりとりは中国が請け負ってるからほぼ中国、のレストランから始まって。

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握手、飲食、カップルでの逢瀬、バス内での咳き込みなどなどからどんどん人に移り

研究を進めてるうちに変異ウイルスができて、治療薬の開発に色んな製薬会社が競い始めて、感染者はお葬式もできない、特効薬のデマが流れる、スーパーでは買い占め、感染者の多い地域の隔離、ワクチンができても今度はワクチンの奪い合いが始まる。

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中国で防護服着た人が消毒液ブシャーってホースみたいなので消毒して回る映像とか、こないだ見たぞ。

 

人質をとって他国からワクチンをもらおうとしたりしてたけど、実際にありそうだなって思った。店やら人やらからワクチンを奪うシーンと対照的なのが、人質をとってまで、村の子供たちや女の人たちを守りたいという切実な思いと、人質になった女の人も情が沸いて結局はその村に戻っていくシーン。ここと、博士が自分のワクチンを近所の?男の子にあげちゃうシーンとか、アワアワ大丈夫なの?!ってなったけど辛いほど優しくて心がヒリヒリした。

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クラスターだとかって言葉もじゃんじゃん出てきて、この一年で耳に馴染んだフレーズが飛び交っててほんとにびっくりだよね。政府はこの映画を参考にしたんか??

ちなみに今話題のワクチン接種の順番、この映画では誕生日抽選で決めててさ、もうあらかじめ政府側から誰から受けるかを決めてもらえたら予約のための行列だとかサーバー落ちだとかのトラブルないんじゃねって思ったけど、その順番決める側が大変すぎるわな。無理か。

 

 

映画の中で唯一違うなってとこは、マスク着用率。あんなにやばいすぐ死ぬ感染症流行っとるのに全然みんなマスクしてない。ウオ近いぞソーシャルディスタンスもっと!!ってなる。

 

映画全体を通して、最初に言ったとおり、結局怖いのは人間だし、映画の中でも利益とか自分勝手さとかのせいでさらに物事が悪い方向に向かって行ってて。みんなで協力して足並み揃えること、も今求められてるけど、それだけじゃない、自分一人が良ければいいとか自分の大事な人が守られればいいとかっていう本能的なものだけじゃなくて、自分の知らないところにいる、誰かの大事な人を守るためにも行動しなくちゃいけないよねっていう。思いやるという行為が出来る人間としてウイルスと戦いたいよねっていう、そういう印象を勝手に受けたな。

 

そしてラストシーン、私はもう衝撃すぎてヒーだったんだけども。

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中国でコロナがもし本当に始まったとして、昨年2月ごろは、おそらくコウモリやら豚やらから人間にーって言われてたよね。このコンテイジョンも同じなわけ。でさ、じゃあどうやってコウモリから、豚から人に??って思ったときにさ、いやむこうのひとらはコウモリ食べるらしいじゃん、えーじゃあそれでかー!って納得した自分に言いに行きたいよね。焼いて死んだ肉食べてもうつるまーで。

コンテイジョン最大の衝撃のラスト見て、ヒエーーー!!!てなったよ。え、コロナもこうなの?!こうなのかもしれないの?!しれないね?!?!イヤー!!!ってなったよ。

もーアメリカの中国に対する偏見よ笑 いや実際ほんとにこんな感じだなって台湾行ったとき思ったけどさ笑笑 豚の口に突っ込んで血液まみれになったあとにエプロンでパンパンっ(^人^)って拭いただけの手で握手するとか🤝🤝🤝ギャーーー無理すぎ!!!!!!

今後は料理中はもちろんかなり手洗いを真剣にやり込もうと思いましたよね。思ったよ、あんなの怖すぎる。

 

偏見で言うと、日本への偏見笑 さすがに目の前で泡吹いて倒れた人を助けもせずに至近距離で携帯向けて動画撮影せんがな笑笑笑笑 しかもまだスマホじゃない時代にサラリーマンのオッサンがしとるぞ。オッサンはあんまりそんなことせんぞ。監督は日本人にどんな仕打ちを受けたんよ。誰があの印象植え付けたんよ。

 

 

まあ、コロナ始まって一年たって、気が抜け始めた今また見れてよかったなと思う。

あと今も必死で研究を続けてくれている方々、医療関係者の方々にますます頭が上がらないし、損得を考えず、ワクチンや治療薬が世界中の人々の手に渡るようにしてくれることを心から願う。

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むしろ今じゃないとあんまり響かん映画かな。

おわり!

 

 

 

映画『アデル、ブルーは熱い色』〜最高だったねってなる映画じゃないよ!!!〜

前にも見たことあったんだけどネトフリに上がってたから再視聴しました〜

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アデル、公開当初かなり話題になりましたね

異例の主演俳優もパルムドールを受賞したり、エモエモのエモって感じでみんながこぞって映画館にゴーしてた気がするんだけど、最も取り上げられたのはその性描写の多さ故なんじゃないかな。

多分今までの映画にないくらい女性同士、レズビアンのセックスが描かれてる。

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全部合わせたら10分あるらしい。長すぎでしょ、映画館どんな空気になったんよ。

いや、これカップルや家族とかで見るのはもちろんさ、友達同士で見に行くのも結構際どい映画だよ。

もー、会えばセックスしーのアデルの実家でしーのエマの実家でしーの、ちょっとやりすぎじゃない?!お母さんたち起きちゃうわよ!!って心配になるレベルの激しいファイトかましてんの。ひえー!ってちょっと早送りしちゃったわよ。

これは一人で見るのが一番のアンサーだと思う。

 

はい あらすじ

 

2013年・第66回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。フランスの人気コミックを原作に、「身をかわして」「クスクス粒の秘密」などで注目を集めたフランスの新たな才能アブデラティフ・ケシシュ監督が、青い髪の美大生エマと出会い、運命的な恋に落ちた女性アデルの情熱的な人生を、大胆な性愛描写とともに描いた。文学を愛する高校生アデルは、青い髪をした美大生エマと運命的な出会いを果たし、2人は激しく愛し合うようになる。しかし、時の流れとともに2人の気持ちは次第にすれ違っていき……。カンヌ映画祭では、審査員長を務めたスティーブン・スピルバーグの計らいによって、ケシシュ監督とともに、エマ役のレア・セドゥーとアデル役のアデル・エグザルコプロスに対してもパルムドールが授与され、カンヌ史上初めて俳優がパルムドールを手にした。

 

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フランス映画ならではのカメラワークも相まって、アデルの10代から20代という人生一番楽しい真っ盛りに揺れつつ大人になっていく心の部分がもう震えるくらい伝わってくる。学生時代はトムとうまくいかなくなって友達と喧嘩しただけでも授業中泣いちゃうようなんだったのに、社会人になってエマと別れちゃって私生活は死ぬほどぼろぼろなのに仕事はしっかりこなすようになってるのとか、リアルだよね。ウゥーとなるよ。

 

この映画から私が受け取った感じたこと

まず、『自分と違う人って、キラキラして見えるけど憧れは憧れのままなんだよねー』です

アデルは最初は自分がレズビアンであることに否定的で、それに気づくのがエマと出会ってからなんだよね。レズビアンであることを周囲に公表して恋人もいて家族にも認められているエマと違って、アデルは家族はもちろん友達や職場にも多分最後まで自分がレズビアンであるのとを隠し続けた。

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このことももちろんなんだけど、アデルとエマは全然違う。お互いおそらく出会いは運命的で、一目惚れで、情熱にあふれてた。

セックスも最高で、気持ちよくて、抱き合ってる時間が唯一無二だったんだと思う。

でも、育った環境や思想やこの先行く道があまりにも違いすぎる。

学生と社会人、庶民的で堅実的な両親と裕福で自由のある両親、ボロネーゼと牡蠣(広島県民としては生牡蠣レモン丸呑みは見ただけでお腹痛くなる案件)、赤ワインと白ワイン、公務員と美術家。そして、今この瞬間に幸せを求めるアデルと外に外に自分の能力を高めていきたいエマ。そらすれ違って当然だよな〜。

アデルにとってエマは、その切ないくらい青い髪型が輝いて見えるほど、憧れて止まない存在だったんじゃないかな。

だからそばにいられるだけでよかったんだろうな。

でもその情熱を教えたエマは、もっと先に行きたかった。アデルはその先には自分が追いつかないことを察して不安で不安で裏切るような行為をしちゃう。

エマがアデルを家から追い出すシーンなんか緊張感ありすぎて、お互いの、なんでわかってくれないの、がもーーグサグサ刺さってくるわけよ。

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まあどう考えてもうまくいく2人ではないことは傍目に見て丸わかりで。おそらく人生で一度きりと感じたであろう恋に落ちてしまったアデルは、藁にもすがる想いで最後までエマに固執しちゃうんだけどもね。忘れられないよね、うんうん。でもカフェで股間触らせるのはダメだぞ。

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次に感じたこと『アデルのあまりにも人間的すぎるキャラクター、エマのジェンダーを超えた色っぽさ、ズルい!!!!』です

まず、アデルがなぜあんなに魅力的か。髪もボサボサだしメイクもほぼしてないのに色気を感じるのはなぜか。アデル見て気づいちゃったよ、欲望丸出しの人間って色っぽく見えるんだね!!!!まじか。

アデルはボロネーゼバクバク食べるし、どこだろうとエマとセックスセックスだし、エマとの間に隙間ができてきたら寂しくて他の男とセックスセックス。3年ぶりに会ったエマとより戻したくて股間触らせるていう。欲望に忠実か!!!!でもこの欲望との付き合い方が自然というか。隠そうとしない、丸出しなんだけどそれが見てる側も扇情するような魅力になってる。

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劇中にめちゃ出てくるボロネーゼ、超美味しそうすぎて今夜はボロネーゼにしちゃったよ

 

エマはもーー言うまでもなく最高。レアセドゥ、フランスの俳優で一番好きだよ。アデルと初めて出会った横断歩道で、同じく心を奪われた視聴者は私だけじゃありませんね?!?!キャロルのケイトブランシェットもそうだけど、運命的な恋のファーストミートのシーンってマジでほんとに最高だよな(語彙力の喪失)

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この2人が実に魅力的すぎて、物語としてはありきたりなストーリーなのにのめり込んじゃった。

 

あとはね、きっと見た人の印象が分かれるラストシーン。エマの念願の個展にアデルも駆けつけるシーン。おいおいアデル、おま、青いドレスで来るんじゃないよーーー涙!!!

この時すでに、ていうかエマは物語の中盤で青い髪やめてブロンドになってんのね。二人の心が離れて行く描写でもあったんだろうけど、エマにとって、青色はその程度。でもアデルにとってはとってもとっても大切な色だってことが、ここで再度強調されてんの。

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うおーーやめろアデル辛いから辛いのビンビンに伝わってっからやめろやめてくれーーー!!今すぐ帰って着替えて!!!!

そんな未練タラタラなもんだから、エマのかいた絵なんて全然見とらん。もうどうしていいかわからんくて身の振り方がわからんすぎてフラフラ歩くだけで前も見とらん。でも視聴者側にはうっすらと、エマが描いたであろう新しい恋人の絵も見えたりしてギャーやめてくれとなる。辛い辛い辛い。

そこで、前にも会ったことのある俳優の男性と再会して、まだニューヨーク行ってないの?旅行は魂の解放だよって言われて別れて、アデルはそのまま結局何一つ目もくれず会場を後にする。その後ろ姿が果てしなく小さくなるまで映されるカメラワーク。

そして俳優男性が、アデルが帰ったことに気付いて追いかけるけど見つけることはできない。

 

これね、この終わり方。私的には、踏ん切りがついたのかな??って見えた。魂の解放の方向に進んで行ってくれたらいいな。。

 

映画の感想はここまでなんだけど、この映画を褒めたり最高だぜとコメントする前に、ちゃんと知っておかないといけないこと。

それは、この作品を作るにあたって、主演二人へのセクシャルハラスメント問題があったということ。

多すぎる、そして生々しすぎる性描写。え、二人は嫌じゃないのこれ。。。やりすぎじゃないのかな。。俳優ってすごいなって、事前情報がなくったって察したよ。主演の二人はもう2度とこの監督とは仕事したくないってコメントを残してるのだとか。性描写に対して強制的なムードというか、強要されたというか、屈辱的だったと。

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だから、この映画はもちろん好きだし、キャラの魅力が溢れた最高の仕上がりだと思うんだけど、主演二人がそう思われること、この作品が世に受け入れられることをもしかしたら望んでいないかもしれないなってことも、わかっていないといけない。

役者ってでもそういうもんなんじゃ?って思う人もいるかもだけど、たとえ仕事だとしても嫌なことは嫌だしやりたくないことを無理に強要されて、しかもかなり自分のプライベートな部分が出てしまう結果になるっていうのは、人としての尊厳の問題になるよ。

 

この映画を見る時はほんとにいろんな気持ちになる。嫌だっただろうにすごい演技力だなとも思う。

そういう意味でも一度見ておくのはアリな映画だし、背景と性描写を抜きにしてしまえば十分に芸術的で甘美で切なくてギューっとくる映画だよ。フランス映画の中でも見やすい方だしね。

 

ただ、絶対に一人で見たほうがいい。ワラワラ

カップルで見る人とか、覚悟しておいてくれ。

 

 

映画『パッドマン』〜いやパリーどんだけいい女やねん!!!!〜

公開当初かなーり話題になったこの映画、題材が最高なのでノンフィクションだけど気軽に見れそうだな〜とずっと気になっていました

ようやく見れたよ!

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広告からしていいよね〜!インドらしい明るい雰囲気!

 

はいあらすじ〜

インドの小さな村で新婚生活を送る主人公の男ラクシュミは、貧しくて生理用ナプキンが買えずに不衛生な布で処置をしている最愛の妻を救うため、清潔で安価なナプキンを手作りすることを思いつく。研究とリサーチに日々明け暮れるラクシュミの行動は、村の人々から奇異な目で見られ、数々の誤解や困難に直面し、ついには村を離れるまでの事態に…。それでも諦めることのなかったラクシュミは、彼の熱意に賛同した女性パリーとの出会いと協力もあり、ついに低コストでナプキンを大量生産できる機械を発明する。農村の女性たちにナプキンだけでなく、製造機を使ってナプキンを作る仕事の機会をも与えようと奮闘する最中、彼の運命を大きく変える出来事が訪れる――。

 

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こっからネタバレ満載だよ!

 

ぶっちゃけ、まあ良い映画でしたが!!

思ってたより明るくはないしインド映画なのに誰も踊らんかった!!(偏見)

いや、明るいよ?!明るいんだけどテーマというか、立ち向かう対象が重いし大きすぎんねん

インドも貧困の格差が激しい国。映画の途中でなんかえらい人が言いよったように、人口が単純に多すぎる。中心部では働く女性も増えてきてるけど、村ではまだまだ女性は家にいるものという考えが強く、夫に暴力を振るわれても泣き寝入りするしかないという女性も多く。。

主人公ラクシュミが生まれ育った村も、古くからのしきたりを重んじていて、女性は生理の間家の中には入れず、穢らわしい存在として外に出されていた。生理のことを男性の前で話するなんてことはおろか、生理用のナプキンにお金をかけるなんてあり得ない。使い古して血で汚れた布を洗って使い回し、人目につかないように他の服の下に隠して干す。どう考えても不衛生だけど、妻のガヤトリのセリフにあるように「恥をかくくらいなら不衛生で死んだ方がマシ」というのが村社会の常識。生理=恥。でもこれがこの時代のインドの宗教観であり固定概念。

 

驚くことにこの舞台、2001年の出来事というね。たった20年前のインドでは日本円にして1000円もの値段で数枚のナプキンが売られていた。なぜそんなことに?!研究や商品改良が進まないのは、ひとえにナプキンへの需要のなさ、さっきも言ったようなヒンドゥー教の教えとして生理=穢れという不浄観と、それを疑わず信じる熱心な信仰心があったから。

 

そこでラクシュミが動くわけ。愛する妻に病気になってほしくない!自作でナプキンを作るも失敗の連続。本人はいたって真面目に研究を進めるけども村の人からは「ラクシュミは狂った」って村から追い出されちゃうの。さすがの妻もいつまで経ってもナプキンの話ばっかりする旦那と離婚を決意しちゃう。

これがまあ序盤の話なんだけど、ちょっと待って!愛する妻のためにナプキンを開発する不屈の精神を持つ男の物語なのに、もう妻から見放されとるやないかい!!!!って最初は思ったよね。

 

でもさ、ラクシュミもラクシュミで、村で誰もナプキン試してくれんけどみんなの体を思うと使ってほしくていてもたってもいられんわ!って気持ちもわかるけど、普通に考えて中学生くらいの女の子に夜ナプキン渡しに行くオッサンやばいよ。加えてその時代の出来事なんでしょ、そらみんなから変質者扱いされても仕方ないわな。私ですら近所のおっさんが深夜にナプキン持ってきたら怖いわ。

 

そんなこんなで村を追い出され妻からも離婚を切り出されたラクシュミ、でもナプキン開発への意欲はなくなりません!

ラクシュミ、より多くの女性を救うことにシフトチェンジします。

愛する妻はーーー!!!???となった。

 

安価でナプキンを作る機械を開発したラクシュミに、マーケティングを主導したのがこのナプキンの商品名にもなる女性、パリー。

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画期的な開発とアイデア、情熱を持ってナプキンを作り上げたラクシュミに可能性を見出して、色々アドバイスしてくれる相方的存在になる。と同時にお互いに惹かれ合うわけだけど、最後は一緒にはならない。

パリーは都会的で先進的な女性だけど、ラクシュミはやはり村社会の出身。結びつくことはない、とパリーがそっと離れていくのね。

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いやーもうね、パリーがいい女すぎてやばいの。特許を取ってお金を多く稼ぐことをラクシュミに提案するけどラクシュミはそれを拒否して家を出て行ってさ、その時点で二人の違いが浮き彫りになるのに、それでもラクシュミを追いかけて、村に工場を作って女性たちを雇うこと、ナプキンの販売は女性に任せた方が賢明だということをきちんと教えてあげるのね。

最後の方でパリーを妖精だとラクシュミは揶揄するんだけど、妖精どころか女神様でしょうが!!!

 

ナプキン開発は一歩進んでも二歩進んでも、なかなか村社会には馴染めず挫けそうになるシーンが沢山あるんだけど、ラクシュミの諦めない精神やポジティブでユーモアに溢れる言葉たちがこの映画を盛り上げてくれてる。

最初、ラクシュミが初めてナプキンを薬局に買いに行くときの店員とのやりとりとか超面白い。

 

あと、一番は、おそらく本物のセリフをそのまま完コピしたのではと思われる、国連でのラクシュミのスピーチね。

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それほど堪能ではない映画、『リングアッシュ』を使って簡潔に、でもわかりやすく、伝わりやすく、ジョークを交えながら喋る姿には目を離せなかった。ノーカットだったからか、臨場感あふれる想いのこもったスピーチになっていた。物語の中ではラクシュミはあまりペラペラ喋る方じゃないんだけど、このシーンでだけ人が変わったみたいに喋る喋る。

 

結局ラクシュミは追い出された村に戻って奥さんとも元通りになるんだけど、多分見た人の多くはなんでパリーと都会で暮らさずに村に戻って支えてもくれなかった奥さんなのよ!!!と感じたのでは。

私もマジでそう思った。

最後一緒にパリーに会いに行こうとする横にいる奥さん見て、なんでお前普通にそこにおんねん!!!!ってなった。

けど、よくよく考えればその姿こそ、自分の身の丈に合った生活に戻り、欲張りすぎず民衆の幸福のために開発に身を捧げたラクシュミらしい姿なんだよね。

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そういう意味では、奥さんのガヤトリにあまりスポットが当てられなかったのが残念。わざとなのか??自分が生まれ育った村社会のしきたり、いや、彼らに取っては人生の道そのものであるヒンドゥー教への信仰心をある意味一番捨てたのはガヤトリなのに、そこがあんまり目立ってない。

 

物語としては面白い。ただ、愛する妻のためにー!!っていう謳い文句にするならもうちょいガヤトリの葛藤にスポット当ててあげてくださいよ!!って思った。

 

日本では当たり前のように使うことができてる生理用ナプキン。最近、男性だけのチームで、おしゃれな生理用ショーツが開発されたらしくて、日本のパッドマンだ!とか言われてるらしいけどお前らパッドマン見たんか?!ってなる。生理用品作ったからパッドマンなんとちがうよ、逆境に立ち向かいみんなを救ったヒーローだからパッドマンなんやで。と思う。

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普通にナプキンが使える現代、更に言えばピルで自分の生理もコントロールできる、そしてそれを選択できる環境に置かれた私たち。なんてありがたいことだろうと思う。

 

まあテンポもいいしユーモア溢れるし、国連のスピーチシーンを見るだけのためでも見る価値が十分にある映画でしたね!!!!

ほんじゃこのへんで。突然おわるよ!

 

 

映画『シカゴ7裁判』〜ヤバい状況にある時ってなかなかそのことに気付けないのかも。。〜

見ました〜 シカゴ7裁判

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Netflixに入っていながら、まだ見たことがなかった 重いテーマの映画、しかも史実に基づいた作品はなかなか見るのに勇気がいるのよ。

ただ大好きなエディが出てるし、300日のサマーのジョセフゴードン、アリGのサシャ・バロン・コーエンも出てるし、更には監督がマネーボールアーロン・ソーキンですやん はーーNetflix様はお金持ちですな。。。これは見なくちゃな作品ということで重い腰あげて視聴したぜ

 

感想。。。

超よかった!!!!!見てよかった!!!!!コロナ禍でオリンピック開催が危ぶまれる今!!!!え〜オリンピックできるのぉ〜ていう受け止めしかしてなかったちょっぴり他人事だった今!!!!!見てよかった!!!!!私のおばか!!!!

 

はい、あらすじ

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1968年、アメリカ・シカゴの民主党全国大会。当初の予定では平和的に行われるはずだったベトナム反戦デモは次第に激化し、警察との衝突に発展してしまう。7人のデモ主催者は、暴動の責任を問われ逮捕・起訴されることに。そして、歴史に悪名を轟かせる理不尽な裁判が始まる。

この7人がシカゴセブンね。

 

まず私の心を惹きつけたのがオープニング

爽快でレトロポップな音楽に合わせてデモ活動や講演会の映像が流れるのね。これから始まるのは理不尽に立ち向かえば立ち向かうほど先回りされて道を塞がれてしまうウォオォどうすればいいんや!!!が満載の歯軋り物語なのに、よってらっしゃいみてらっしゃい的なノリの音楽がテンポよく流れるのよ。

ほんでオープニング同様、どうしようもなく歯痒い史実をなんとか見てられるのは裁判中にヒッピーであるアビー達が裁判長を茶化したりするジョークや、裁判が進む現在とデモが過激化していく過去とを交互に映像で流していく構成の心地よさがあったから。裁判長に敬意がないと言われた次回の朝廷で裁判官の格好して赴くとか、裁判官とのやり取りとか、爽快だったね。

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あとこの映画にのめり込ませてくれたのは他でもない裁判長の演技力。腹立つしムカつくしでも歯向かえない、憎たらしい役を見事に演じておりましたフランク・ランジェラ さすがです

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調べてビックリしたけど、被告人、裁判長、弁護士、判事らのセリフは実際の記録にあったものそのままなんだって。法廷の緊張感がバシバシ伝わってくるのはそのためかーと納得する反面マジかよ全部本当の出来事なのかよとドン引きしてしまう。

まず初っ端から被告人たちは共謀罪にかけられるんだけど、この7人(最初はボビーも含めて8人)は同じ目的、シカゴで行われる民主党大会に合わせて平和的デモを行うっていう目的で集まっただけで元々の面識はなし。共謀罪で10年の懲役なんて強引にも程がある求刑。

そして8人目の被告人ボビーはブラックパンサー党の委員長でシカゴでの滞在時間はたったの4時間、ちょっと前で演説してただけで逮捕アンド弁護人や代理人はつかず釈放もされずという横暴っぷり。このボビー、おそらくただの黒人要素。。

さらに黒人差別だけじゃなくてヒッピーに対する偏見や差別も感じられる発言が往々にして出てくる出てくる。

被告人たち寄りの裁判員は辞退させるわ、検察に不利な証言や弁護士の発言は記録から削除されるわ、挙げ句の果てには弁護側の証人の主張は裁判員の耳には入れないように指示。

しかもしかもボビーの代理人に途中からなった男性は翌日に警察により射殺。その後の裁判で声を荒げたボビーは拘束され猿ぐつわを口にというとてもじゃないが直視できない衝撃的な姿にされる。これには判事もドン引きでこの件をきっかけにボビーは裁判から外れ、ここから初めて被告人は7人になった。いやまじこのシーンとかアメリカで問題になった黒人男性の警官による射殺事件そのまんまじゃんけ。

 

ここまではアビーを中心に裁判を茶化す雰囲気、こんなの茶番だと馬鹿にする感じがあったんだけど、このあたりから一気にシリアスになっていったな。

 

ほんでデモは平和的に行うべきで、結果として過激化したのは自分たちの責任もあるアンド裁判では印象を良くするべきと思ってるトム・ヘイデン(エディ)と、みんなが勝手に集まっただけで怪我したのだって仕方ないアンド裁判で媚を売るなんて馬鹿馬鹿しいと思ってるアビー(サシャ)の決して交わらない二人の意見。ベトナム戦争終結という、向かう先は同じなのに相反するこの二人を中心に話が進むので、いろんな捉え方ができるなーと思った。監督はこの二人に焦点を当てることで今回の作品ができたんだって言ってたよ。

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平和的なデモにこだわってたトムが、友人が傷つけられてついカッとなってみんなを扇動するような発言をしてたりして。それで最初から後ろめたかったのかなあ。。と思った。それにしてもああいう、後ろめたい後悔する表情と拳突き上げ雄叫びあげる動作がどうしてエディは様になるんだろうね。大好きだよエディ。

でもさ、目の前で友達が理不尽に殴られて血を流しててさ、、それでも落ち着いて平和的に〜なんて言えるか???言えんだろうよ???

 

映画のラストは爽快でしたね〜

裁判に勝つことに目を向けすぎて、被告人やマスコミ、視聴者も忘れかけてた一番の主張、目的に立ち返ったラスト。裁判が始まってから今までのあいだに亡くなった戦死者の名前を読み上げるところでエンドロール。みんなが拳を上げ、声を上げ、哀悼の意を表明する瞬間には鳥肌立っちゃいました。

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映画を通して思ったこと。こんな裁判あり得ないのに有り得てるわけだし結局ベトナム戦争も10年も続いたし歴史は過ぎた後でしかその狂気に気付けないってこと???という恐ろしさ。。

ミャンマーで今起こってる出来事もきっと同じようなこと。。日本でも共謀罪は存在するし、似た出来事が起きない保証はないのかも。私が気付けないだけで、令和3年の今起こってる出来事って、普通じゃないことなのかもしれない。

政治に興味がないとかあるとかじゃなくてもっと主観で世の中を見たり主張をする必要ってあるんだろうな。

もしオリンピックできたとて、後から振り返ったら『なんであの時オリンピックしたねん』ていう未来になってるのかもしれんのよね。。

もうさ、オリンピックできませんでしたけどお金もないんですわみんなで助け合ってなんとか立て直していきましょうやって正直謝るのが一番やと思うんやけどどない。

 

話それたけど、この映画は公開日が2020.10月と、まあ完全にアメリカ大統領選に向けて作られた映画でして。時代を超えても変わらぬ出来事が起こっていたアメリカで、この映画はどう受け止められたんでしょうね。トランプ大統領時代が終わり、民主化へと何とか軸を戻そうとしつつある今、分断したアメリカはどうなっていくんでしょうかね。わからんね。

日本も他人事ではなくて、自分もそうだけど民主主義国なのに基本的な議論が下手な国民が増えてきて、支え合う、受け止め合う、わかりあうっていう行為ができているのかどうか。気をつけよう〜

 

そういう面でもこの映画はバラバラの被告人が理不尽な裁判に立ち向かう中で主張をぶつけ合い、最後には綺麗にまとまるという民主主義の最たる姿も表してて、もうほんと、グッ。。。!ってかんじでしたね(突然の語彙力のなさ)

 

こんな裁判がもうにどとない世の中になってほしいなー(語彙力がいきなり逃げたのか????????)

いや〜 いい映画でした

エディカッコよかったっす